私はかつて、誰が見ても絶望的な状態の一軒家に住んでいました。外からは立派に見える二階建ての家でしたが、中に入れば玄関から奥の部屋まで、大人の腰の高さまでゴミが積み上がっていたのです。なぜあそこまで放置してしまったのか。今振り返れば、自分でも信じられないような感覚ですが、当時はゴミの山に囲まれていることが、自分を守る防壁のように感じられていたのです。きっかけは些細なことでした。仕事の過労で片付けを後回しにし、気づけば床が見えなくなり、一度諦めてしまうと、あとは坂道を転がり落ちるようにモノが増えていきました。一軒家は広いから、どこかに置けばいい。その考えが破滅への入り口でした。二階の部屋が埋まれば一階へ、リビングが埋まれば廊下へと、ゴミの浸食は止まりませんでした。夜、ゴミの山の上で寝そべりながら、自分はもう二度と普通の生活には戻れないのだと、静かな絶望の中で息をしていました。そんな私を変えたのは、疎遠になっていた娘が突然訪ねてきたことでした。玄関先で立ち尽くし、涙を流す彼女の姿を見て、私は初めて自分の過ちに気づかされました。娘が手配してくれた清掃業者の人たちが来た日、私は自分の恥部をさらけ出すような思いで、震えながら隅っこに座っていました。しかし、彼らは私を責めることなく、淡々と、そして丁寧にゴミを運び出してくれました。山の中から出てきた古い手紙や、私がかつて大切にしていた趣味の道具を見つけるたびに、「これはどうしますか」と優しく尋ねてくれました。三日間かけて、私の家からゴミという名の呪縛が消えていきました。空っぽになった部屋で、数年ぶりに自分の足で床を踏みしめたとき、足の裏に伝わるフローリングの冷たさに、私は生きている実感を覚えました。ゴミ屋敷を脱出することは、単に部屋を綺麗にすることではなく、自分自身の人生を再び愛することへの挑戦でした。今は、整えられた一軒家で、一輪の花を飾る余裕を持って暮らしています。あの混沌とした日々を思い出すと、今でも胸が苦しくなりますが、同時に「人間はいつからでもやり直せる」という確信も持っています。私の家から消えたのはゴミだけでなく、自分を否定し続けてきた暗い影だったのです。今、もしゴミに埋もれて苦しんでいる人がいるなら、どうか勇気を出して助けを求めてほしい。一軒家という広い空間に再び光が差し込むとき、あなたの心にも必ず新しい風が吹くはずです。
ゴミ屋敷の一軒家から生還した人の証言