ある日チャイムが鳴りました。インターホンの画面に映るのは、お馴染みの宅配便の配達員の方でした。本来なら、待ち望んでいた荷物が届く嬉しい瞬間のはずです。しかし当時の私は心臓が激しく脈打ち、息を潜めて彼が立ち去るのを待つしかありませんでした。なぜなら、私の家の玄関は、もう扉を開けることができない状態になっていたからです。内側に積み上がった雑誌や空のペットボトルが、ドアをしっかりとブロックしていました。強引に開けようとすれば、外にゴミが雪崩れ出し、私がこのような環境で生活していることが露呈してしまいます。その恥ずかしさと恐怖が、私から普通に荷物を受け取るという権利を奪っていました。ゴミ屋敷と呼ばれる状態になるまで、特別な出来事があったわけではありません。ただ少しずつ、ゴミ出しの日を逃し、段ボールを解体するのを後回しにし、玄関のたたきに物を置くことが習慣化してしまっただけなのです。最初は明日やればいいという軽い気持ちでした。しかし玄関に一つ物が置かれると、二つ目を置く心理的な障壁は驚くほど低くなります。そうして、お気に入りだったヒールや毎日履くパンプスの上に、いつの間にかコンビニの袋が覆い被さるようになりました。玄関が塞がっていく過程は、自分の生活が自分の制御下から離れていく過程そのものでした。結局その宅配便は不在票が入れられ、再配達の依頼も出せずに保管期限が過ぎて返送されてしまいました。中身は母が送ってくれた地元の野菜だったはずです。返送された理由を尋ねる母からの電話に、私は適当な嘘をついて誤魔化しました。その時私は自分の嘘の惨めさに耐えられなくなりました。玄関という、世界に繋がるはずの場所を自分の手で塞ぎ、大切な人からの厚意すら受け取れなくなっている現状。これはもはや片付けが苦手というレベルではなく、自分の人生を放棄しているのではないか。そう自問自答した夜、私は暗闇の中で玄関のゴミの山を掴みました。ほんの少し、ドアが動く程度のスペースを作るだけで三時間かかりましたが、その時感じた冷たい外気は、これまで感じたどの風よりも清々しく、私にまだやり直せるという希望を運んできてくれたのです。玄関を開ける勇気を持つことが、私の社会復帰の第一歩でした。今でも時折、あの時の配達員の方の顔を思い出します。今は胸を張ってドアを開け、ありがとうございますと笑顔で荷物を受け取ることができます。その当たり前の光景が、何物にも代えがたい幸せであることを、私は玄関のゴミの山から学びました。