部屋の片付けが少しずつ滞り、いつの間にか床が見えなくなり、ゴミの山が膝の高さまで迫ってくると、最後に訪れる聖域でありながら最も無惨に崩壊するのが風呂場という場所です。私自身、かつてはその場所に立ち入ることさえ恐怖を感じるほどの、いわゆるゴミ屋敷の住人でした。最初は脱ぎ捨てた服を脱衣所に放置することから始まりました。洗濯機が回せなくなり、濡れたタオルが床で湿気を帯び、やがて浴室の扉を開けることさえ億劫になっていくのです。風呂場は湿気がこもりやすく、一度手入れを怠るとカビやヌメリが爆発的な勢いで繁殖します。排水口が髪の毛や泥で詰まり、水が流れなくなったとき、私は掃除をするのではなく、その場所に蓋をすることを選んでしまいました。浴槽は、いつしか風呂に入るための器ではなく、捨てる場所を失った不用品を放り込む巨大なゴミ箱へと変貌していきました。空のシャンプーボトル、使い古したスポンジ、そしてなぜかそこにあるコンビニ弁当の空き容器。水気を含んだゴミは重く、独特の腐敗臭を放ち始めますが、鼻が慣れてしまうとそれさえも日常の一部として受け入れてしまう恐れがあります。ゴミ屋敷化した風呂場の恐ろしさは、単なる不潔さだけではありません。そこには、自分自身を清潔に保つことを放棄したという、深い自尊心の喪失が横たわっています。体を洗うことができなくなり、拭き取りシートや外出先でのシャワーで済ませるようになると、人としての根源的な活力が少しずつ削り取られていくのを感じました。ある日、窓から差し込んだ一筋の光が、浴槽の上に積み上がったゴミの地層を照らし出したとき、私は自分が住んでいる場所の異様さにようやく気づかされました。扉を閉ざすことで視界から消していても、湿気と悪臭は確実に部屋全体を蝕んでいたのです。この「封印された場所」を再び開くには、物理的な清掃以上の、自分自身の人生をやり直すという強い覚悟が必要でした。専門業者に依頼をする際も、最も見られたくない場所はこの風呂場でした。しかし、業者の人たちは淡々と、かつ丁寧な手つきで、地層と化したゴミを剥がし、真っ黒に染まったタイルの汚れを落としていきました。数時間に及ぶ激闘の末、再び姿を現した真っ白な浴槽を見たとき、私は自分の心にこびりついていた重い何かが、排水口へと流れていくのを感じました。お湯を張り、湯気に包まれるという当たり前の行為が、これほどまでに人間を癒やし、立ち直らせる力を持っているとは思いもしませんでした。風呂場を綺麗に保つことは、自分を大切に扱うことそのものです。あの日、勇気を出して扉を開けたことが、私の人生における真の再生の第一歩となったことは間違いありません。